仕事をして悔しかった事・・・

適応障害

昔話です一年前に会社に勤めていた時のお話です。

心にとどめておくのは健康に良くないのでここで毒を吐き出しておこうと思いここに書いておこうと思います。

会社で仕事をして辛かったことは評価を得られなかった事です。

何をしても同じ評価、毎年評価表をもらっていましたが毎年毎年同じような評価で間違いなく個人を見ていないなと感じました。

コミュニケーションも仕事に関してのものはあまりなく「自分で考えて仕事して」という感じを強く受けました。ちなみに私がいた会社のコミュニケーションはお友達感覚です。正直、ずっと気持ちが悪いのを感じていました。

私としては「この部署はこれをやって欲しい」とか目標とか指針というのがまったくなくて会社が私自身に何を求めているのかがさっぱりわかりませんでした。

私が必要だったのは上司との仕事上のコミュニケーションでした。私の周りには誰一人としてそのような方はいませんでしたし出会えませんでした。

そして、辞める1,2年ぐらい前からは私の部署は重要視されていないということが私の出した結論でした。

本業+雑用+使えない人材を押し付ける+ハンデキャップを持った人を押し付けるというような閑職のような扱いでした。なので、他の部署からも下に見られるのも当たり前にありました。

例えば本業が出来ても雑用が出来ていなければ仕事が出来ない扱いを受けたりしている事も当たり前でした。結構差別感を受けていたのですが、他の部門の人達や上司達には当たり前の事と受け取られていたので「無意識の悪」をずっと感じていました。

私のいた部署は20年近く仕事をしたのですがあまり大きな変化はありませんでした。機械的なシステムの変更はありましたが、仕事の流れとか仕事の仕方は変わる事はありませんでした。何度かは提案をしたりしましたが、一時期は変わってもしばらくしたら元に戻ったりとあまり変化はありませんでした。

私自身出来るだけアシスタントの仕事負担の軽減をできる様に変えたことも多々やりましたが、評価としては全くありませんでしたし、上司からの反応も良し悪しな雲を掴むような感じで全く手ごたえを感じませんでした。

今思えば余計な事をしていたのかなと思いました。

会社の意向は「余計な事を考えないで言われた通りの仕事をしなさい」という感じだと思います。

そう感じている理由としては先ほどにも書きましたが上司とのコミュニケーションが殆どない(所属している部署の上司とか本部からくる上司からのやり取りが殆どありませんでした。)。そして、私の部署だけは会議が存在しませんでした。

最初の5年ぐらいは会議はありましたが、上司が変わった途端に会議が無駄ということになりそれ以降まったく会議しなくなりました。

各店舗からの情報もないし上司とのやりとりもありませんしでしたし自分の店舗内の会議にでも参加する事はありませんでした。今でいう所のハブられてるという感じです。

私はあの職場ではかなり嫌われていたようです。

仕事を離れて見て思ったのは仕事は頑張ったけど報いを受けた感じです。

得られたものは何も無かった・・・

まあ、仕事に関しては何も得られませんでしたが仕事以外ではいろいろと得られるものはありましたからすべて無駄とは一概には言えませんね。

しかし、入社して約26年ほどでしたかこんなにも相性の悪い会社と良く付き合っていられたなとホント自分をほめてあげたいと思います。

でも、出来れば体を壊す前に計画をしっかり立てて辞めたかったなっとこのへんは後悔かなぁ~

過去の事を後悔してもしょうがないのですが、これは反省として今後に活かしていきたいと思っています。

それでは・・・

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